北浜が諸物産の集積地として発展し、東横堀川対岸との往来のため「今あらたにかけた橋」が今橋といわれています。江戸時代、今橋通は、豪商といわれた鴻池などの両替屋が軒を連ね、一大金融センターを形成していました。この頃は「日本の富の七分は大坂に、大坂の富の八分は今橋にあり」といわれていました。
享保9年(1724)5人の町人が出資し、町人のためにつくられた私塾が「懐徳堂」です。幕府からも「大坂学問所」として公認され、山片蟠桃はじめ数々の町人学者を生み出し、明治2年(1869)まで続きました。町人の力で礎が築かれた愛日小学校、適塾、銅座跡に建つ国内最古の園舎(明治34年)をもつ愛珠幼稚園など、この地は「学び発祥の地」といえます。
江戸時代には金・銀・銭の三貨幣があり、江戸は金、大坂は銀というように、地域によって何を中心に利用するか異なっていました。しかも、その交換比率は変動していることから、通貨間の両替が必要でした。両替屋はこのような貨幣の交換をするともに、貸付、飛脚為替手形による遠隔地決済など、今の銀行のような業務を行っていました。
愛日小学校は平成2年(1990)に閉校となりました。この跡地を中心に再開発事業が行われ、平成20年(2008)に完成したのが「淀屋橋odona」です。この周辺は大阪を代表する企業の集まるオフィス街ですが、平成14年(2002)に始まったオフィスビルの一角を店舗に改修する「淀屋橋WEST」の活動などと相まって、「はたらく街」から「楽しむ街」へ変化しています。
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