通りと筋

難波橋筋 なにわばしすじ

かつて難波橋はこの筋にかかっており、中国街道に接続する往来の多い道路で、隣の堺筋と繁栄を二分していました。しかし、1911年(明治44)の市電敷設計画に反対したことが明暗を分け、1915年(大正4)にはシンボルだった難波橋が堺筋に架け替えられました。その7年前の1908年(明治41)には長堀川に藤中橋が架橋され、難波橋を失った難波橋筋は藤中橋筋とも呼ばれるようになりました。この藤中橋は橋筋の病院経営者が私費で架けたものです。

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