この界隈には近江商人の店が集積しており、その出身地が名の由来とされています。田村駒治郎商店、現在の蝶理につながる大西商店、伊藤万など木綿問屋も多く店を構えていました。有名な古本屋の鹿田静七は、「内外新聞」という大阪で最も早い新聞の刊行販売を行いました。