内北浜通(Uchikitahama-dori St.)

内北浜通 うちきたはまどおり

かつては北の濱といわれ、北に向いて家屋の建つ広い浜でした。水運による交流が盛んになるにつれ、家屋が建ち並び、ここに二つの通り(内北浜通と北浜通)が出来ました。さらに長崎貿易や各藩の諸物産の集散地として、金相場会所、俵物会所、銅座などとともに各種問屋、両替屋などが立地し、経済・金融取引のまちへと発展しました。

今橋通(Imabashi-dori St.)

今橋通 いまばしどおり

北浜が諸物産の集積地として発展し、東横堀川対岸との往来のため「今あらたにかけた橋」が今橋といわれています。江戸時代、今橋通は、豪商といわれた鴻池などの両替屋が軒を連ね、一大金融センターを形成していました。この頃は「日本の富の七分は大坂に、大坂の富の八分は今橋にあり」といわれていました。

高麗橋通 こうらいばしどおり

名の由来として、高麗橋が朝鮮国使来朝のために架けられた橋という説と、かつて難波高麗館が橋の東にあったためという説があります。江戸時代は、大呉服商、両替屋、書肆、紙屋、苧屋などが多く、越後屋(三井)はその筆頭でした。

伏見町通 ふしみまちどおり

伏見町通 伏見町は豊臣時代に大坂に移住した京都・伏見の町人に因む町名です。江戸時代には中橋筋から心斎橋筋までを伏見町、心斎橋筋から魚の棚筋までを呉服町といい、諸大名や豪商などを相手に、茶道具などの道具商とともに、舶来品を […]

道修町通 どしょうまちどおり

武田、田辺三菱、塩野義などの製薬会社が今も軒を連ねる薬の町です。名前の結来は(1)昔「道修谷」と呼ばれた、(2)道修寺という寺があった、(3)北山道修がこの地で医院を開業、(4)私塾が多く修学修道の地であったなど、諸説あ […]

平野町通 ひらのまちどおり

御霊神社の祭神、百済氏出身の早良親王。百済氏を祭る京都平野神社にちなんだ名前です。丼池以西の善左衛門町には北組惣会所が置かれていました。江戸期~明治末頃まで市内の五大商店街の一つとして賑わい、1・6の日の夜店は名物でした […]

淡路町通 あわじまちどおり

大塩平八郎の乱の主戦場として有名。近松門左衛門の『冥途の飛脚』の飛脚問屋亀屋の忠兵衛の店もここにありました。幕末には勝海舟が大阪の寓居先であった専称寺に大坂海軍塾を置いていました。また御霊神社内には明治~大正末期にかけて […]