安土町通 あづちまちどおり

この界隈には近江商人の店が集積しており、その出身地が名の由来とされています。田村駒治郎商店、現在の蝶理につながる大西商店、伊藤万など木綿問屋も多くありました。有名な古本屋の鹿田静七は、「内外新聞」という大阪で最も早い新聞 […]

本町通 ほんまちどおり

1657年(明暦3)の地図にも見ることができる古くからある名前です。呉服商の集積を元に、現在はクラボウや帝人など繊維衣料関係の企業が集積する本町・南本町。本町には、絹張小路、鰻小路、狐小路の三つの小路があります。繊維関係 […]

南本町通 みなみほんまちどおり

御堂筋以西は渡辺町、椹木町と呼ばれていました。また南本町1丁目は米屋町とも呼ばれていました。4丁目には、心斎橋筋と丼池筋の間に昔、「夢の浮橋」という石橋がありました。また、福田理軒という算学者がおり、算術を教える塾を開い […]

中央大通 ちゅうおうおおどおり

旧の唐物町(からものまち)の南側の一部と北久太郎町(きたきゅうたろうまち)の一部を合わせ、1970年(昭和45)大阪万博にあわせてできました。町名は船場中央(せんばちゅうおう)。「船場センタービル」は、船場中央にある唯一 […]

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久太郎町通 きゅうたろうまちどおり

染物や漆器商などが多く、現在は陶器神社やタイル会社のある街です。名前の由来は、(1)百済町と書いたのを後世誤り伝えた説と、(2)堀久太郎(秀吉直属の家来)の邸の跡地であったという説の2つがあります。平成元年までは北久太郎 […]

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北久宝寺町通 きたきゅうほうじまちどおり

唐弓・唐槌(いずれも綿を柔らかくする道具)の商店、合羽・塗物・唐小間物問屋、繰綿の先物取引所の他、東本願寺派の寺々がありました。丼池以西にあった多くの町うち、渡辺町は天正年間(16世紀末)に渡辺津(八軒家)にあった坐摩神 […]

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南久宝寺町通 みなみきゅうほうじまちどおり

「久宝寺」という名の由来は、久宝寺という寺があったという説と、道頓堀川開削のために河内渋川郡久宝寺村から多くの人夫が移り住んだという説があります。御霊筋以西は上難波町西笠町と呼ばれていました。

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博労町通 ばくろうまちどおり

江戸時代は伝馬町または馬屋町と呼ばれ、牛馬を売買していた博労(馬喰)達の町でした。難波神社は仁徳天皇・スサノオ尊・宇賀御魂神を祀り、通称博労稲荷と呼ばれ、稲荷社内には文楽軒の人形浄瑠璃座がありました。

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順慶町通 じゅんけいまちどおり

戦国大名筒井順慶にちなんだ名とされていますが、そのつながりは不明です。江戸時代には御堂筋以西は浄国寺町、初瀬町と呼ばれていました。新町廊に通じており昔から賑やかな通りでした。1982年(昭和57)2月の住居表示変更時に、 […]

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安堂寺橋通 あんどうじばしどおり

暗峠・奈良街道に通じる道で、江戸時代には安堂寺町、西樽屋町(のちに北勘四郎町)と呼ばれていました。安堂寺の名称は昔この地にあったとされる「安曇寺」の転訛であろうと言われています。丼池筋添いには蘭学塾「糸漢堂」がありました […]