高麗橋通 こうらいばしどおり

名の由来として、高麗橋が朝鮮国使来朝のために架けられた橋という説と、かつて難波高麗館が橋の東にあったためという説があります。江戸時代は、大呉服商、両替屋、書肆、紙屋、苧屋などが多く、越後屋(三井)はその筆頭でした。